​森可成―織田家最古参の重臣、宇佐山に散り猛将一族の礎となった勇将 (jhistory)

斎藤家から信長最古参の重臣へ

​信長への仕官と破竹の武功

もとは美濃国の斎藤道三に仕えていたが、のちに織田信長の家臣となる。桶狭間の戦いや美濃攻め、上洛戦など、信長の勢力拡大期における主要な合戦に数多く参戦し、織田家躍進の礎を築いた。

​美濃金山城主と京での政務

1563年頃から美濃金山城の城主を務めた。戦場では名刀工・関兼常作の十文字槍を自在に操る「攻めの三左」と恐れられた剛の者であったが、武勇一辺倒ではなく、信長の上洛後は京都で政務に携わった文書が多く残されており、高い行政手腕を兼ね備えた人物であった。

​宇佐山城での壮烈な最期

​姉川の戦い

1570年の姉川の戦いでは織田軍の五段目に陣を張り、背後に佐久間信盛や信長本陣を配する中で、怒涛の勢いで突き進む浅井軍先鋒・磯野員昌の猛攻を食い止める重要な働きを見せた。

​宇佐山城の戦いと壮絶な戦死

同年9月、近江国・宇佐山城の守備を任されていた可成は、信長の本隊が摂津に出征中という隙を突いて押し寄せた浅井・朝倉連合軍数万の大軍と激突。わずか1,000人ほどの兵で奮戦し、信長の背後や京都への敵軍侵攻を命懸けで防ぎ止めながら壮絶な討死を遂げた(享年48)。

​後世における森一族のイメージ

​「やばい一族」の印象

可成の死後、家督を継ぎ「鬼武蔵」の異名をとった猛将・森長可や、過激な逸話(磔好きなど)で知られる森忠政、信長の側近として有名な森成利(蘭丸)など、強烈で物騒なエピソードを持つ息子たちを数多く輩出した。現代のゲームや創作作品などでは一族まとめて「やばい一族・怖い人たち」として描かれることが多く、その強烈なイメージの源流となっている。

​森可成から学ぶ教訓

​武勇と行政能力を兼ね備えたオールラウンダー

槍の腕前という卓越した武芸を持ちながら、政務処理能力も高く評価されていた点に見る、激動の時代において組織から頼られ続けるための多面的なスキルセット。

​組織の危機を救う殿

自らの命を賭して大軍を食い止め、主君や組織全体の潰走・京の落城を防いだ宇佐山城の戦いのように、極限状態において自己の責務を全うする圧倒的な忠義と覚悟。