鬼庭良直―伊達家の危機に老躯を投じ、人取橋で散った壮烈な老将 (jhistory)

​伊達家四代を支えた評定役と長寿の系譜

​伊達家四代に仕え、武官の頂点である評定役に就任

1513年誕生。鬼庭元実の子。天文の乱では父とともに伊達晴宗方について領地を安堵され、のちに伊達輝宗の代にはその卓越した手腕を買われて単独の評定役に任命され、武官の最高位へと登り詰めた。

​長命の鬼庭家と喜多・片倉家を巡る血縁

代々長寿で知られる鬼庭家の系譜を引く。娘に政宗の乳母となる喜多がおり、家督を嫡男・綱元に譲る際、側室を迎えるために正室を離縁したことが、のちの名参謀・片倉景綱の誕生へと繋がっている。

​人取橋の戦いでの殿軍と壮烈な最期

​主君・輝宗の非業の死と、死に場所を求めた出陣

1585年、主君・輝宗が畠山義継に拉致されて横死した事件のあと、遠藤基信の自刃なども相次ぎ、伊達家が窮地に陥る中、左月斎と号していた良直は「今生の別れに」と御家の命脈を繋ぐための殿軍(しんがり)を買って出た。

​黄金の采配を受け取り、73歳で散った壮絶な討死

政宗から金色の采配を賜り、老齢の体に鞭打って軽装のまま輿に乗り込んで戦場へ進軍。人取橋付近で連合軍(佐竹・岩城勢)を相手に縦横無尽の奮戦を繰り広げ、圧倒的な兵力差の中で敵を翻弄して撤退の時間を稼ぎ出した末、首級200余を挙げて壮烈な戦死を遂げた。享年73。

​鬼庭良直から学ぶ教訓

​主家の危機に自らの命を差し出して活路を開いた自己犠牲

伊達家最大の危機である人取橋の戦いにおいて、圧倒的な敵の猛攻を一身に引き受け、老躯を賭して時間を稼ぎ出すことで組織の全滅を防いだ、忠義の極みともいえる身投げの覚悟。

​実直な勤務と、武人としての華々しい引き際

若き日から歴代当主を補佐して内政・軍事の両面で実績を積み重ね、最期は「老将の意地」を見せつけて伝説的な最期を遂げた、戦国武将としての矜持と生き様。