山崎家から富田家への継承と前田家での活躍
中条流を伝える山崎家出身、富田景政の養子
1554年誕生。総合武術「中条流」の継承者である山崎景邦の子として生まれ、のちに富田景政の養子となって富田流の剣術を極めた。実兄の山崎景成も中条流を受け継いでいる。
前田利家に仕え、数々の合戦で挙げた武功
前田利家に仕えて末森城の戦いで一番槍の戦功を立てたのをはじめ、小田原征伐や関ヶ原の戦いなどに参加して加賀藩で1万3000石を知行する大身の将となった。
「名人越後」の異名と大坂の陣での奮戦
晩年の大坂の陣における実戦での首級
受領名が越後守だったことから「名人越後」と称賛された。還暦間近の老齢でありながら、1615年の大坂の陣に前田利常の供として参戦し、敵兵19人の首級を挙げるという生々しい実戦の強さを証明した。1625年に72歳で死去。
本来の「無刀取り」にまつわる逸話
前田利常から無茶振りされた「無刀取り」の際、小姓の注意をそらせて瞬時に相手の剣を奪い去るなど、古流の総合武術に基づいた実戦的な機転と組み討ちの技術を有していた。
富田重政から学ぶ教訓
道場の武術にとどまらない最前線の実戦
数々の合戦(末森城や大坂の陣など)で自ら先頭に立ち、老齢になってもなお敵を圧倒して首級を挙げ続けるという、実戦の場でこそ真価を発揮した不屈の武人魂。
古流武術の本質である総合力(組み討ち・機転)
剣の打ち合いだけでなく、心理的誘導や間合いを詰める覚悟、組み討ちの技術を包含した総合武術としての古流の真髄を体現した実務的な武芸者としての在り方。
