母里友信―名槍「日本号」を呑み取った黒田家屈指の猛将 (jhistory)

​黒田家への仕官と家中随一の首級数

​尼子氏ゆかりの改姓と先手大将としての活躍

​黒田職隆の与力・曽我一信の子として誕生。黒田孝高(官兵衛)に仕える際、母方の姓である尼子氏ゆかりの「母里(もり)」を名乗る(別名・母里太兵衛)。印南野の戦いでの初陣以来、栗山利安と共に黒田軍の先手大将として各地を転戦した。

​家中最高記録の首級数と1万8,000石への抜擢

​「黒田二十四騎」「黒田八虎」の筆頭格として数々の戦功を挙げ、挙げた首級数「76」は黒田家中最高記録を誇る。九州征伐や朝鮮の役での大功を経て、主君・黒田長政から筑前鷹取城1万8,000石の大名級の知行を与えられた。

​名槍「日本号」呑み取りの伝説

​福島正則との酒席と強要された大盃

​朝鮮の役の休戦期、長政の使者として福島正則の陣を訪問。酒豪として知られた正則から酒を強要され、一度は長政からの禁酒の命を守り拒絶するも、正則から「黒田の武士は腰抜け」と家中を侮辱されたことで一転。直径一尺の朱塗りの大盃になみなみと注がれた酒を連続で3杯飲み干した。

​天下無双の名槍拝領と黒田節の発祥

​正則が酔いに任せて約束した「呑み干せば好きな褒美を与える」という言葉通り、天下無双の名槍「日本号」を要求。「武士に二言はない」と正則を閉口させてそのまま持ち去った。この豪快な逸話は福岡県民謡「黒田節」の一番として現代まで歌い継がれることとなった。

​意地っ張りな頑固さと主君との絆

​「福智山は富士山より高い」の強行主張

​極めて頑固で意地っ張りな性格で知られ、参勤交代の際に富士山の高さを褒めた臣下に対し、「自分の居城の裏にある福智山の方が高い」と言い張り、命を懸けて言い分を譲らなかった逸話が残る。

​黒田長政との信頼関係と直言の姿勢

​同じく猛将として知られた後藤基次(後藤又兵衛)が長政と対立して出奔したのに対し、友信は不器用ながら裏表のない直言を貫いたため、長政から終生深く重用・優遇され続けた。

​栗山利安との義兄弟の契り

​義兄として慕った栗山利安の存在

​官兵衛の命により、5歳上の栗山利安と誓紙を交わして義兄弟の契りを結んだ。粗暴で感情的になりやすい友信を、利安は巧みな宥めと強烈な叱責で生涯にわたり温かく御し続けた。

​涙を流した最期と「関羽と張飛」の絆

​1615年頃に病に倒れて臨終を迎えた際、見舞いに訪れた利安の手を握り、「御身の恩で人になれた。閻魔の前に伝えることができてよかった」と感涙。周囲から「三国志における関羽(利安)と張飛(友信)」と称される美しい主従・兄弟の絆を残して生涯を閉じた。

​母里友信から学ぶ教訓

​豪胆さと組織の誇りを守る一線の死守

単なる酒乱や乱暴者にとどまらず、家中や主君の名誉を侮辱された際には極限のパフォーマンス(大盃3杯の完飲)を発揮して相手をやり込めるという「覚悟を持った豪胆さ」の強み。

​自分を御してくれる良き指導者との出会い

感情に任せて暴走しやすい欠点(張飛の性質)を持ちながらも、それを正しく導き受け止めてくれる人間(栗山利安)に素直に従い感謝し続けたことで、破滅を回避し大成を果たしたという人間関係の構造的教訓。

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