二階堂家の四天王、須賀川城の死闘
須田家の当主として二階堂家を長年補佐
1530年誕生。奥州須田氏の出身で、須賀川を治める二階堂家の古参の重臣として頭角を現した。「二階堂四天王」のひとりとして数々の合戦や外交で活躍し、主君・二階堂盛義や阿南姫(大乗院)を支えて家中を牽引した。
伊達政宗の猛攻に対する須賀川城の壮絶な籠城戦 1589年、伊達政宗が蘆名氏を滅ぼした後に須賀川城へ迫ると、降参の進言を退け阿南姫とともに徹底抗戦を決意。股肱の臣を率いて城門を守り抜き抵抗したものの、味方の内応(放火)による落城で城を失い、佐竹氏の元へと落ち延びた。
佐竹氏の下での再起と95歳の長寿
茂木城主から横手城代へ、老いて発揮された剛腕
主家滅亡後は佐竹氏の庇護を受け、太閤検地を経て栃木の茂木城主(茂木百騎)となり、のちに佐竹氏が出羽へ移封されると秋田の横手城代などを歴任。キリシタンとみなした一派を独断で厳しく討伐するなど、高齢になっても衰えない苛烈な統治と武勇を見せた。
95歳の高齢で迎えた最期と天下三美濃の評価
1625年に95歳(数え年96)という驚異的な長寿で死去。その生涯にわたる揺るぎない忠義と武勇から、後世には梶原政景や馬場信春とともに「天下三美濃」のひとりに数えられ称賛された。
須田盛秀から学ぶ教訓
主家滅亡の逆境の中でも貫き通した圧倒的な忠義と意地
主君二階堂家が時代のうねり(伊達氏の台頭)の中で追い詰められていく中、最後まで降伏を拒んで徹底抗戦を貫き通した、武門としてのすさまじい気概。
挫折と転居を乗り越えた高齢での力強い再起と適応力
主家の滅亡や身内の悲劇、領地替えといった過酷な運命に翻弄されながらも、新天地(佐竹領)で再び城代や執政として手腕を揮い、長寿と実績で一族の礎を次代へ繋いだタフネス。
