二階堂盛義―強烈な「ひょえー」の顔芸とネタで愛された須賀川の当主 (jhistory)

蘆名氏への降伏と息子の人質・家督継承

​二階堂照行の子、蘆名氏との戦いに敗北

1544年誕生。陸奥須賀川城を拠点とする国人領主・二階堂家の当主。会津の有力大名蘆名氏との抗争に敗れ、嫡男の盛隆(のちの蘆名盛隆)を人質として差し出すことで降伏し、二階堂家の独立と存続を図った。

​息子・盛隆の蘆名家相続と二階堂家の全盛期

人質だった息子・盛隆が蘆名盛氏の養子となって蘆名家の当主を継いだことで、二階堂家と蘆名家の結びつきが強まり、一族の勢力を拡大させて全盛期を築き上げた。1581年に38歳で死去。

​ゲームが生んだミスター顔芸「ひょえー」

​『信長の野望・蒼天録』を発端とする衝撃のビジュアル

『信長の野望・蒼天録』などで採用された、目が吊り上がり口を大きく開けた強烈な顔グラフィック(通称「ひょえー」)がネット上で大ブレイク。

​シリーズを越えて愛されたネタキャラ

父親の二階堂輝行(二階堂照行)も別作品で凄まじい顔芸を担当し、親子二代での顔グラが話題に。コーエーの公式企画やソーシャルゲーム等でもたびたび起用され、のちの『信長の野望・新生PK』の人気投票で1位を獲得して顔芸が公式復刻されるなど、歴史ファンから絶大な愛されアイコンとなった。

​二階堂盛義から学ぶ教訓

​敗戦の危機に次世代(人質)を活かして家名を繋いだ処世術

大勢力蘆名氏の圧倒的な攻勢の前に敗北しながらも、我が子を人質として差し出す苦渋の決断によって一族の滅亡を回避し、結果的に息子の躍進を通じて二階堂家の発言力を高めた現実的な外交判断。

​ネット文化で永遠の命を得た「キャラクターの力」

政治力や領主としての手腕を持ちながらも、強烈なゲームのビジュアル(顔芸)によって、時代や地域を超えて数多くの人々に記憶され親しまれる異色の存在感。

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