遠藤基信―織田信長ら中央との外交を仕切り、主君・輝宗のあとを追って切腹した忠臣 (jhistory)

宿老・中野宗時の謀反を暴き、伊達家の両輪として台頭

​流浪の修験道から中野宗時の主計へ

1532年誕生。若い頃は諸国を流浪したのち、伊達家宿老・中野宗時に仕えて税制台帳の管理を任される。しかし宗時の不正や謀反の計画に気づき、1570年にこれを主君・伊達輝宗へ密告して誅罰に導いた。

​輝宗を支える文官の筆頭として外交を主導

この功績で宿老に取り立てられ、鬼庭良直とともに輝宗治世の文武の双輪として活躍。優れた渉外能力を発揮し、織田信長をはじめ、豊臣秀吉、徳川家康、柴田勝家らの天下人や周辺諸侯との複雑な外交文書を取りまとめて伊達家の基盤を固めた。

​政宗への世代交代と、主君・輝宗への殉死

​隠居による身引きと、片倉景綱の推挙

1584年、伊達政宗への家督譲渡に際して「主君へ二代の出頭はならぬ」との信念から自ら隠居を果たす。若い頃には、輝宗の徒小姓だった若き日の片倉景綱の才能を見抜き、梵天丸(政宗)の傅役として推挙するという大功も残している。

​輝宗の非業の死を追い、墓前で遂げた壮烈な切腹

1585年、主君・輝宗が畠山義継に拉致されて横死すると、悲しみに暮れて二七日(ふたなのか)の法要を終えたあとに輝宗の墓前で切腹。主君のあとを追って旅立った。享年54。

​遠藤基信から学ぶ教訓

​組織の不正や危機をいち早く察知し、正道へと導いた鋭い洞察力

身分の低い立場から実務能力でのし上がり、内部の謀反を未然に防いで主家の崩壊を救った、優秀な文官・行政官としての手腕。

​二代に仕えず、義を貫いて主君と運命を共にした純粋な忠義

次代へのスムーズな世代交代を自らの隠居という形で示しつつも、心から傾倒した先代・輝宗の死に際しては一切の未練を残さず殉死を選んだ、戦国武士の圧倒的な矜持。