現人神(大祝)からの転身と武田家との同盟
諏訪大社の大祝としての誕生と継承
1516年誕生。諏訪氏第19代当主。幼少期は生きた神(現人神)とされる大祝(おおほうり)に即位したが、のちに神事を弟の頼高に譲り、自身は世俗の惣領として政治と軍事を担う戦国大名へと転身した。
武田信虎の娘を正室に迎えた甲諏同盟
祖父・頼満の路線を継いで諏訪郡を統治。1540年には武田信虎の三女・禰々を正室に迎え、甲斐の武田家と強固な同盟関係(甲諏同盟)を締結した。
武田晴信(信玄)の侵攻と東光寺での自害
同盟破綻と東西からの挟撃
舅・信虎の追放後、諏訪頼重が単独で上杉憲政と和睦したことが武田晴信(信玄)との盟約違反とみなされ、晴信の侵攻を受ける。さらに、諏訪氏庶流の高遠頼継とも結ばれて東西から挟み撃ちに遭い、本拠を維持できなくなった。
甲府への連行と非業の自害
1542年7月、桑原城を開いて降伏。弟・頼高と共に甲府の東光寺へ送られ、同年7月20日(または21日)に自害した(享年27)。遺された娘はのちに晴信の側室となり、武田勝頼を生むことになった。
諏訪頼重から学ぶ教訓
神聖なる権威(宗教的権力)を世俗の政治力へと移行させる難しさ
「神の家」としての伝統と絶対的な大祝の神威を誇りながらも、容赦ない戦国のパワーゲーム(同盟と裏切り)のなかで大名家として生き残るための限界と残酷さ。
外交的バランスの崩壊がもたらす「同盟国からの急襲という致命傷」
かつての強固な婚姻同盟の絆を過信し、情勢の変化に伴う単独外交(他勢力との和睦)が引き金となって、信頼していた義兄(武田晴信)から容赦ない滅亡の牙を向けられた教訓。
