上杉謙信の下での関東最前線と度重なる寝返り
「無双の勇士」と称された越後国人
1517年頃誕生。大江氏の流れをくむ越後毛利氏の一族(小田原の北条氏とは別系統で「きたじょう」と読む)。抜群の武勇を誇る一方で「家中一の粗忽者」とも評された。
武田・後北条方への寝返りと上杉陣営への復帰
武田信玄の調略を受けて一時寝返るも上杉謙信に鎮圧され、のちに赦免。謙信の関東出兵後は上野・厩橋城に入り、関東統治の最前線責任者として重用された。しかし1567年には北条氏康の調略で再度寝返り、のちの越相同盟成立によって再び上杉へ帰参するなど流転の動きを見せた。
御館の乱の混乱と目まぐるしく変わる帰趨
御館の乱での景虎支持と武田・滝川・北条への従属
1574年に隠居して家督を息子・景広に譲る。1578年の謙信死去に伴う「御館の乱」では上杉景虎を支持したが敗北し、息子・景広も討死。武田氏や滝川一益、さらに後北条氏や真田昌幸の動向に呼応するなど、激動する上野の情勢に翻弄されながら生き残りを図り、1587年以降の動静は不明となった。
北条高広から学ぶ教訓
優れた戦闘能力(武勇)がもたらす「幾度もの赦免と重用」
二度・三度と主君(上杉謙信)を裏切りながらも、その圧倒的な武勇と前線指揮官としての高い実務能力ゆえに再び迎え入れられ、重要な拠点や任を任され続けた特異なキャリア。
地政学的要衝(上野国)における「大国に挟まれた国人の過酷な生存戦略」
上杉・武田・後北条という巨大勢力が激しくせめぎ合う最前線にあって、自領と一族を守るために勢力の盛衰に応じて主を変えざるを得なかった、戦国国人の波乱と悲哀の歴史。
